ドイツの名匠ヴィム・ヴェンダースと
日本を代表する俳優 役所広司の美しきセッション。
フィクションの存在をドキュメントのように追う。
ドキュメントとフィクションを極めた
ヴェンダースにしか到達できない映画が生まれた。
カンヌ国際映画祭では、
ヴェンダースの最高傑作との呼び声も高く
世界80ヵ国の配給が決定。
こんなふうに生きていけたなら
東京・渋谷でトイレ清掃員として働く
平山(役所広司)は、
静かに淡々とした日々を生きていた。
同じ時間に目覚め、同じように支度をし、
同じように働いた。
その毎日は同じことの繰り返しに
見えるかもしれないが、
同じ日は1日としてなく、
男は毎日を新しい日として生きていた。
その生き方は美しくすらあった。
男は木々を愛していた。
木々がつくる木漏れ日に目を細めた。
そんな男の日々に思いがけない出来事がおきる。
それが男の過去を小さく揺らした。
思いがけない出来事が、
まるで風のように
男の日々を揺らした。
そしてそれは光と影の踊りを生んだ。
東京渋谷の公衆トイレの清掃員、
平山は押上の古いアパートで一人暮らしている。
その日々はきわめて規則正しく、
同じことの繰り返しのなかに身を置いているように見えた。
ルーティンは孤独を遠ざけるものかもしれない。
けれど男のそれはどこか違ってみえた。
夜が明ける前に近所の老女が掃除する竹ぼうきの音が響く。
それが聞こえると男はすっと目をあける。
少しのあいだ天井をみつめる。おもむろに起きあがると薄い布団を畳み、
歯を磨き、髭を整え、清掃のユニフォームに身をつつむ。
車のキーと小銭とガラケーを
いつものようにポケットにしまい部屋をでる。
ドアをあけて空をみる。
スカイツリーをみているのか。光を見ているのかはわからない。
缶コーヒーを買うと手作りの掃除道具をぎっしり積んだ
青い軽にのって仕事へむかう。
いつもの角でカセットテープを押し込む。
カーステレオから流れてくるのは
The Animals のThe House of Rising Sun。
いくつもの風変わりなトイレを掃除してまわる。
その日はひょっとすると声をひとつも出していないかもしれない。
掃除を終えると夕方にはあのアパートに戻る。
自転車に乗り換えて銭湯へゆき、
いつもの地下の居酒屋でいつものメニューを頼み、
そして寝落ちするまで本を読む。
そしてまた竹ぼうきの音で目をさます。
男の人生は木のようだった。
いつも同じ場所にいて動かない。
同僚のタカシのいい加減さをどうして憎めないのか。
いつものホームレスの男が気になる。
清掃のあいまに見つける木漏れ日が好きだ。
フィルムを現像してくれるこの店はいつまであるだろうか。
銭湯で出会う老人が愛おしい。
古本屋の女性の的確な書評を聞くのも悪くない。
日曜だけ通う居酒屋のママの呟きが気になる。
今日はあいにくの雨だ。それでも予定は変えない。
そんな彼の日々に思いがけない出来事が起きる。
そしてそれは彼の今を小さく揺らした。