同じことの繰り返しにみえるけれど、
平山にはそうではなかった。
すべてはその時にしかないもので
だから、すべては新しいことだった。
かすかに朝の気配がする。
落ち葉を竹ぼうきで掃いている
老女の他は誰も
そのことにまだ気がついていない。
竹ぼうきの音が古いアパートの2階まで届く。
男がすっと目をあける。
そのまま天井をみつめている。
顔の皺の深さは日焼けのせいか
それとも年齢のせいか
ずいぶん遠い目をしている。
前触れもなく男が起きる。
薄い布団をたたみ、
階下に降りて身支度をはじめた。
顔を洗い、
使い込まれた電気シェーバーを
左右の頬にあてて
口髭をハサミで器用に整える。
無駄がない動きだ。
ひょっとすると何十年も
男が同じことを
してきたのではないかと思わせる。
台所に置いてある
スプレーを手に2階へもどる。
急な階段のせいか、
軋む音を最小限にしたいのか、
男はかかとをつけずに登る。
さっきまで寝ていた部屋の奥に
紫のライトが見える。
植木のためのライトだ。
大小さまざまな植木。
湯呑みの底に穴をあけた手作りの植木鉢に
小さなもみじの木がみえる。
まだ木とは呼べない大きさだが
それっぽい葉をつけている。
水をやったあと男は
ちょんとその葉を指ではじく。
青い清掃員のユニフォームに身を包む。
玄関の脇の小さな棚に
いつもの持ち物が並ぶ。
迷いなく左から順にポケットにいれる。
ガラケー。
小さなフィルムカメラ。
車のキー。
そして小銭。
今日の空をみる。
ほんのすこし微笑む。
それから駐車場の自販機で
甘い缶コーヒーを買う
朝飯はもう何年もこれだけだ
ルームミーラーの自分と目があう
あいかわらず他人みたいだ
運転席のうえにある棚に手をのばして
適当につかんだ何本かのカセットを眺めて
すこしだけ考える
今までの無駄のないすべての動きが
そのときだけ少し緩む。
選んだカセットを半分だけさして
アクセルを踏む。
大通りにでて車が流れはじめると
スカイツリーが見えてくる。
そこでカセットをおしこんだ。
小さな旅がはじまった。
いつもの交差点
いつもの信号
いつもの交番
いつもの高速
いつもの川
いつもの公園
いつものビル
そしていつものトイレ。
掃除道具を運び、
個室をチェックして、
手袋をはめる
何年も同じことを繰り返してきて
無駄はどこかに消えてしまっていた。
汚れたものをきれいにする。
マイナスをゼロにもどす。
清掃の仕事はどこか修行に似ている。
黙々と繰り返していくなかで、
自分のなかに浮かんだ声が消える。
繰り返しのなかに身を置くと
心は平穏になっていく。
いつもの公園にホームレスがいる。
ときどき目があう気がする。
そのたびに何かを
見透かされるような気がする。
彼はもしかしたら自分にしか
見えない存在だったりしないだろうか。
すべてのトイレの掃除を終える。
会社に報告をして、
朝の道をもどる。
夕方には家につく。
まだ夜には早い。
自転車にのって風呂にいく。
一番風呂はお湯がかたくて好きだ。
いつもの地下の居酒屋に顔をだすと、
何も頼まなくても同じものがでてくる。
チューハイときゅうりをつまんで、
野球に夢中になっている常連をながめる。
どこか遠い。
なにもかもがどこか遠い。
どこか遠い。
そしてこのぐらいが心地いい。
アパートに戻って読みかけの本を読む。
古本屋が言うとおりこの作家は面白い。
時代があまり評価しなかったのも面白い。
もうすこし度の強い老眼鏡が、
そろそろ必要だ。
やがて本を読んでいるのか
眠気を待っているのかわからなくなって、
読書灯を消して目を閉じる。
夜の向こうで、
風がひとつ通り過ぎた。
KOMOREBI